もらい泣きともらいあくび

emu-maharis2007-03-28

悲しいお話を聞き もらい泣きしたと言うのを 最近あまり聞かなくなった。つまり あまり泣くなど しなくなった。泣くという事に限らず 笑うとか 怒るとか 所謂、喜怒哀楽の感情をあからさまに表に出さなくなっている。クールを「装う」最近の傾向から その人物の言動で 人格や性格を判断するのは、違ってきている。逆に手を打ちながら激しく笑っている人を見かけるが 本心から笑っているのだろうか?とも思える場面に出くわす。こんな考えに及ぶと 何もかもが信じられなくなり 人間不信に陥るのではないかと ふと不安がよぎる。


自分の周囲は 無感情の敵だらけと言うのでは 生きる気力まで失いそうだ。出来たら 知り合う人の温度を感じたい。少なくても人の気持ちがくめるような人と接していたいと思う。まして恋人になるかもしれない人物や長く付き合う可能性のある会社の同僚などは、じっくり観察してからでは 遅い場合もあり その見極めが 難しくなっている昨今、実は 意外な事で 相手の思いやり度を判断できる簡単な試みを知った。


その鍵は、欠伸(アクビ)にある。アクビは、主に眠くなると起きる生理現象だが 眠くならなくても 酸欠になったり 顔面の筋肉弛緩などで欠伸は、引き起こされる。この欠伸が伝染するか否かが 重要な鍵なのである。欠伸をしている人を見て 自分も欠伸をしてしまう人は 人の気持ちが汲み取れる思いやりのある人らしい。


悲しみにくれている人の前で 満面の笑顔を見せる人は 論外だが、悲しみにくれている人の前で 悲しい顔見せることは、演技で出来てしまうものだ。笑いも然り。大して面白くもないのに 作り笑いなど 女優でなくても簡単なこと。人を試すというのは 良い行いとは 言えないが 初期の段階で 相手の性格を知っておくことは 決して損ではない。


その人物を知ると言う事が必要なとき ダイレクトな質問をする人を見かけるが警戒されるのが落ち。人を感動させる話も見つからず 悲しい話もネタがない、笑わせるほどの話題もなしとなると 手っ取り早いのは 欠伸だ。人間不信に落ちる前に ふぁ〜と一発大口をあけて見ること。伝染するかしないか ひとつの試みとして やってみる価値はある。但し失敗例として 相手が、真剣な話をしているのに欠伸テストばかりしていると 退屈と判断され 逆に人格を疑われてしまうので ご注意。




アクビするかば君
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ここから むだんで借りてます・・・ごめんさい。