日本経済新聞1・4夕刊引用


短歌史では、恋の歌が重要な位置を占めていた。「百人一首」では、43首もの恋の歌がある。勅撰集は、原則として四分の一が恋の歌だった。与謝野晶子『みだれ髪』の恋歌が近代短歌史の実質的な出発点になったことは ご存知の通りである。


戦後短歌史もまた恋の歌から始まったと見ることができる。戦後間もない1948年刊行の近藤芳美の歌集『早春歌』は、美しい恋の歌を多く含む歌集だった。 東京ではまだ 焼け野原が広がり日本人が皆飢えで苦しむ暗い時代だった。伝統文化は、攻撃目標とされ 桑原武夫の評論「第二芸術」をきっかけとして 短歌否定論の嵐が吹き荒れていた。そんな時代に近藤の美しく清潔な恋の歌は、人々に鮮烈な印象をもたらした。
たちまちに君の姿を霧とざし
或る楽章をわれは思ひき
近藤芳美

早春歌―歌集 (1948年)

早春歌―歌集 (1948年)


西欧の映画を思い浮かべればいい。霧とBGMが若い二人を包む場面である。戦後の恋の歌は、女性歌人によって切り開かれた面が多かった。大っぴらには歌いにくかった題材 たとえば不倫や離婚を積極的にうたいはじめたのも女性歌人だったし 大胆かつ過激な性の表現へ挑戦したのも女性歌人だった。その先駆となったのが、1954年に三十一歳で夭折した中城ふみ子である。 中城は、第一回「短歌研究五十首詠」で登場し 二年ほどの間に爆発的に問題作を発表,風のように世を去っていった。彼女の歌は、乳癌 乳房喪失 夫との不和 離婚 妻子ある男との恋 そして自身を見つめる日々と 鮮烈かつドラマティックな体験を歌っていた。


衆視のなかはばかりもなく
嗚咽して君の妻が不幸を見せびらかせり 
中城ふみ子

乳房喪失―歌集 (短歌新聞社文庫)

乳房喪失―歌集 (短歌新聞社文庫)


妻子ある男性と恋愛し その死に逢っての場面である。これほどあからさまに嫉妬の感情を表現した作、これまで短歌史にはなかった。そこまで歌ってしまってもいいのだ。中城の出現によって恋の歌は、変わった。現代短歌史の起点を塚本邦夫の出現に見る見方は既に常識となっているが 恋歌の歴史においてもまた、塚本の仕事は大きかった。
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで
人恋はば人あやむるこころ
塚本邦夫

感幻楽―塚本邦雄第六歌集 (1969年)

感幻楽―塚本邦雄第六歌集 (1969年)


塚本は、常に物事の究極のありようをうたう歌人だった。恋愛の究極にある美と危険をシンボリックに表現したこの歌は、現代の恋歌を代表する一首となった。塚本が、究極の恋の歌をうたったとすると ドラマチックでない日常の恋の気分を表現したのが俵万智の『サラダ記念日』だった。
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ
二本で言ってしまっていいの   
俵万智 

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)


過激が美しかった時代が去り ソフト・マイルドなものが歓迎された八十年代の恋歌である。大きな文脈とする恋愛の時代はもう過ぎていた時代の恋歌である。平成に入っての恋歌としては、平和な時代の中年女性のアンニュイを歌った次の作を挙げておこう。
女らは、中庭(パティオ)につどひ風に告ぐ
烏龍のなかの情事のことなど
栗木京子『中庭』

けむり水晶―栗木京子歌集 (角川短歌叢書―塔21世紀叢書)

けむり水晶―栗木京子歌集 (角川短歌叢書―塔21世紀叢書)

ふと ポンペイの遺跡のパティオを思い浮かべる。時間をもてあます女性達は、恋の話めかして情事のことを話している。現実とバーチャル
の世界とが重なり合い混じりあった恋の歌だ。

佐々木 幸綱(ささき・ゆきつな)早稲田大学教授
歌人1938年東京生まれ 学生時代に歌誌『心の花』『早稲田短歌』で作歌を始める。主な歌集『瀧の時間』 『呑牛』

歌集篇 (佐佐木幸綱の世界)

歌集篇 (佐佐木幸綱の世界)



君住む町から遠ざかる
車窓に映る我が姿五年の月日悔やむに戻れず。 ボキャ貧 えむ


友人の短歌の紹介は、承諾を得たらここに載せたいと思っています。